2016年8月9日火曜日

【DS】Upset Magazine

Death Spells: 本当に魔法なのか?

記事:Ali Shutler
翻訳:@frankierojapan

英文はこちら
 
Death Spellsのデビューアルバムは気持ち悪い。鳥肌が立つおとぎ話〝Diluted〟や〝Why Is Love So Disastrous?〟の壊れたアナーキーから〝I Don't Know Much, But I Know I Loathe You〟のダラダタした振り子リズムまで、Nothing Above, Nothing Belowは病んでる。DSの世界ではキャッチーなフックなんて存在しない。汚いノイズに更に汚いノイズを重ねて、アルバム全体がベタベタと汚れてる。でもそれが狙いだ。

〝人がエンジョイするような音楽ではないと思う。Death Spellsのコンセプトは全てに反対すること〟とFrank Ieroが説明。彼とJame Deweesがこの怪物のようなアルバムを誕生させた。〝俺らの周りへの反応じゃった、当時出会った音楽や人らへの反応。そして当時の俺らの感情への反応でもあると思う。俺らの世界が砕け散ってったけんね。このアルバムは本気の創造をしてはいけないという状況の中に常に創造をしとる人らのモノだよ。その状況への抵抗じゃ。〟

2012年にハリウッドアパートでスターとしたDeath Spells。当時FrankとJamesがマイケミカルロマンスの5枚目のアルバム制作中だった。Death Spellsは毎晩帰宅したアパートとその世界への膝反射。〝バンドにするつもりはなかった。変なアパートに閉じ込められた見知らぬ土地で他人同士の気分に陥った2人だけだった。そこが俺らの戦場じゃった。俺らはノイズを作ろうとした、そして出来るだけたくさんの人を不愉快な気持ちにさせようとしただけさ。〟代わりばんこでFrankとJamesが次々とレイヤーを重ねて、より不愉快なモノにした。まるでノイズと騒音の核武装競争だ。そしてFrankには伝えたいことがあると気付いた瞬間がプロジェクトのターニングポイントだった。〝すると曲が一気に出来上がり始めた。抵抗や仕返しっていうよりは心構えにシフトした。〟
 
Nothing Above, Nothing Belowは今年の春にやっと完成。〝この瞬間は何年も待ちよった。もう絶対完成できないと思った時もあったけど諦めきれなくてのぅ。いつもDSに戻ったんよ。特別な何かが足りない気がしてさ。これでようやく出来たって感じ。〟しかしアルバムをインスパイアした形のないアナーキーではなく、ちゃんと目的とメッセージ性のあるアルバムに仕上がった。そのメッセージは〝物事は汚くあるべき、醜くあるべき〟だ。〝死後のことや死後の幸せは人生の全てではない。人生はいつだって起きとるんじゃ。大事なのは今ここにあること。ここにあることに対応できんかったら死後のことなんて心配したって意味ないわい。〟

Death Spellsの汚れと暗闇はパッと見、親しみにくい、どんよりした印象を与えるかもしれないが、表面の下では悟ったような明確さがある。〝周りで起きとったことへの抵抗が徐々に固い信念へと変わった。2人で戦っとるって気がしてさ〟とFrankが言う。〝数年かかった作曲プロセスで2人の絆は深まった。〟


Death Spellsは緊迫した状況でしか存在してない。4年の間Death Spellsは仮死状態だった。実をいうと今回のNothing Above, Nothing Below発表は2013年以来初の発表だ。

なぜ今かと聞くと、〝いいタイミングだった。アルバムを書いてたけど、どうしても完成できんくてさ。なんか全てが分からんくなって、壁にぶち当たったんよ。その時Jamesから連絡が来て、彼は暇だったけんもうDeath Spells終わらせようと。アルバムを出さなきゃダメだ気がして。〟そこから色々話し合ってアルバムは完成した。〝Death Spellsを完成したら、ソロのアルバムも完成した。やっと次にいける気がしたわ。〟


マイケミカルロマンスの解散からはThe CellabrationでFrankと親しんできた。影からスポットライトへ、フロントマンとして活躍することを見てきたが、Death Spellsではまた彼の全然違う、ちょっとショッキングな一面を見せてくれる。でも大丈夫、〝ああいうの大好きじゃ!〟と笑いながらFrankがいう。〝俺は創造するのが好き、創造をせずにはいられん。好きなんじゃけど、たまにはほんま嫌いになる。俺の人生の源であると同時にいつか俺を死に追いやるんじゃろう。絶対に。俺ってほんまひとつだけのプロジェクトに集中できん。あれもこれもやっとらんとダメ、俺はそういう人間なんじゃ。マイケミも、leATHERMOUTHもCellabrationもそうであるように、このバンドも俺の性格の一面じゃ。ソロアルバムと同じで、毎回変わるよ。俺は同じことを繰り返したりすることができん。違うことせんと。全然違うバンドじゃないとやる意味あるん?サメみたいになんないとさ。常に進んでないと死んじゃうようなサメに。〟

その姿勢もDeath Spells自体にも恐れ知らずの部分がある。周りの住民を不愉快な気持ちにさせようとしたあの時にもあったし、今もNothing Above, Nothing Belowのアルバム全体にある。〝作曲する時にルールを決める人がおる。壁を作って作曲のやり方をひとつの方程式に絞ったりしてさ。俺はそんなのごめんじゃわ。欲しかったのはノールールなやり方。俺らには自分の壁をぶち壊すのが唯一のルールじゃった。完全なものにしたかった。丸裸じゃけど詩まみれ。隠れようと思えば隠れるほどの不潔さと醜さはあるけど、このアルバムで俺らは全然隠れてないと思う。望み通りじゃ。〟

Death Spellsのアルバムは悪夢とファンタジーが潜む近未来の荒地のようだが違う。〝ストーリーを作り上げるのが苦手なんじゃ〟とFrankが白状。〝自由詩ならよくやるけど、歌詞のことは作り話から書けん。ずっと前から自分の人生経験や人が経験したことから書いたんじゃ。このアルバムもそう。全ては俺が経験感情や親しい人が経験した感情じゃ。〟

〝Choke On One Another〟は〝愛する人と敵同士になることについての曲じゃ。とにかくお互いに悪影響でそれがどうなるんじゃろってこと。悪影響だと気付いて終わるが、それとも全てを破壊することになるか。〝I Don't Know Much, But I Know I Loathe You〟は〝愛と憎しみが全ての意味でまったく同じ感情だってことについて書いた。人があまりにも憎くてその人になりたい、その人を終わらせたい、でももしかしたらその人が嫌いなのは憧れても絶対になれない人だからじゃ。〟〝Fantastic Bastards〟は〝虐待を生き抜いて加害者に復習すること〟そして〝End of Life〟は文字通り人生の終わりをテーマに。〝この世を去ることについて、そして去っても愛する人と一緒にいたい、慰めたいと同時にどうしても一緒にいたいという身勝手な願いから幽霊として愛する人から離れなくなって、危害を加える可能性も。〟

アルバムは暗いが光が差してないわけではない。全ての人間が経験することの反映だ。〝悪いことなしでは良いこともない。苦いことなしじゃ甘いこともない。音楽を聴く度にアップとダウンも必要じゃ。45分ぶっ通して顔面殴れることは耐えられんし、そもそも耐えようとせんじゃろ?〟この4年間でFrankとJamesもアップとダウンを経験してきた。その間の経験や感情がNothing Above, Nothing Belowをしっかりさせる。タイトルから暗い印象を受ける人もいるだろうけど、本当は力を与える表現だ。〝俺ができるもっとも希望に満ちた表現だと思った〟と説明するFrank。〝上にも下にも何もない。死後どうなるか気にしすぎてさ、人を殺すほどにな。〟だからこのアルバムが問うのは〝今この瞬間しかなかったら人はどう行動するか?今この場所と周りの人しかないなら、どう接していくか?そんな風に考えると、今が全てじゃ。ここは天国であり、地獄であり、人に差し上げれる贈り物でもある。希望に満ちとるような場所じゃと思うよ。みんながあんな風に考えてたらもっと楽に暮らしていけるかも。〟少し笑ってからFrankが付け加える、〝それか滅茶苦茶になるか。分からんけど。でもまぁ少なくとも自分の立場がはっきりするじゃろのぅ。〟

Death Spellsは自分たちの音楽が幅広く愛されると思ってない。ニッチだが、〝共感できる人は絶対おる。人の手に渡ればどうなるか分からないのが創造の醍醐味なんじゃ。コントロールを譲るってほんま怖いんじゃけど、めっちゃやりがいがある。作ったものが独自に進化して、創造するか、破壊するか、モンスターになるか、天使になるか。リスナーにどんな印象を受けて欲しいかってそんなの言う権利ないんじゃけど、何かしらの影響を与えられたら嬉しいな。無関心じゃなきゃいいんじゃ。〟ネオンまみれの悪夢Death Spellsが好きだとしても、一刻でも早く逃げたいとしても、このアルバムはリスナーに強引に反応をさせる。それがDeath Spellsの始まりであり、Death Spellsの終わりでもある。そしてFrankには〝キミはどうか知らんけど、俺が聴いた時はなんか汚れた気がしてさ。聴き終わったらシャワー浴びたくなるような感じ。そこが好きなんじゃ。〟

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